Vol.11_見える数字、見えない変化

「人的資本経営」という言葉が、ここ数年で一気にビジネスの世界に浸透しました。“人的資本”がIR資料や統合報告書、経営戦略のキーワードとして当然のように並び、企業価値の向上を支える“非財務情報”として脚光を浴びています。

言葉の響きは立派です。「人材こそが当社にとって最も重要である」という理念に異論を挟む人は少ないでしょう。だからこそ、その中身が精査されずに使われているのではないか?という問いを、ここであえて立ててみたいと思います。

“人的資本経営ブーム”の一つの現実
たとえば、こうした声、どこかで聞いたことはないでしょうか?
「給料分くらいは働いてほしい」
「よくわからない研修や制度にお金をかけるくらいなら、給料かボーナスに回してほしい」

一見、もっともらしく聞こえるこれらの言葉は、“人にかけるコスト”に対して、「それが誰にとって、どんな成果を生むのか」が見えない限り、納得されにくいことを示しています。つまり、成果が実感できない取り組みは、「不要なコスト/費用」と見なされやすいのです。
これはまさに、「人的資本経営って、短期的視点=P/L的視点にとどまっていませんか?」という問いにも通じる話です。

また、こんな声もあります。
「女性の役員登用や研修の取り組みが、どう成果に反映されているのですか?」
「以前よりも、様々なテーマの研修を受講させられているけど、自分たちがレベルアップした実感がない」

こうした声は、決して揶揄ではなく、株主・投資家や現場従業員の本音に近いものです。
そして、それこそが、今の“人的資本経営”が置かれているリアルな立ち位置を示しているのではないでしょうか。
こうした問いかけは、決して揶揄ではなく、より本質的な議論への入口になると考えています。

人的資本可視化の動きと、取り組みの現状
人的資本とは何か。その定義は、国際機関でも整理されています。たとえばOECDでは、人的資本を「個人の知識、スキル、能力、健康など、生産的経済活動に貢献する特性」としています(OECD, Human Capital Development)。また、世界銀行は、人的資本を「将来の労働者が、学校、家庭、病院などで得る知識、スキル、健康の蓄積」として位置づけています(World Bank, Human Capital Project)。

まとめると、人的資本とは働く個人が持つ“目に見えない価値”の集積であり、労働の質そのものであり、価値を生み出す源泉(=Human Capital)ということです。

少しだけ横道に逸れますが、人的資本と混同しがちな言葉に「人的資源(Human Resources)」があります。これは、人をモノや設備と同じように“管理すべきリソース”として扱う発想に基づいています。人的資源という言葉は、配置異動や制度運用など組織管理の文脈で今も広く使われていますが、「人的資本」はそこから一歩進んで、“人への投資が将来の価値を生む”という視点を持っている点で異なります。

話を戻します。日本では、内閣官房が主導する「非財務情報可視化研究会」において、2022年8月に「人的資本可視化指針」が公表されました。また、ISO 30414といった国際ガイドラインが示す人的資本の可視化は世界的な潮流になっています。特に、有価証券報告書への人的資本情報の記載が義務化されたことで、上場企業は人材施策や組織風土について、定量的かつ定性的に“語る”ことが求められるようになりました。

では人的資本経営が企業価値を高めると期待されている一方、その実態はどうでしょうか。
もちろん先行している企業も少しずつ増えてはいますが、依然として多くの企業では“制度や取り組みの紹介”や“リスキリングの実施時間、エンゲージメントスコアの改善、女性管理職比率の上昇などの数値の提示”で終わっており、人的資本が企業価値にどうつながっているのかという“意味の説明”までたどり着いていないのが現実ではないでしょうか。

“努力のKPI”が“成果のストーリー”に変わるには?
”資本”というからには、投資→成長→成果という“時間軸に沿った説明が必要です。しかし、それらが企業価値の向上にどう結びついているのか。どんなロジックで、将来の利益につながるのか。それを説明している企業は、どれだけあるでしょうか。例えば、「人的投資」→「能力開発」→「プロセス改善」→「顧客満足」→「収益向上」というバランススコアカードのような視点があれば一つの因果関係を整理することは可能なはずです。そこまでの説明は難しくても、”取り組みの本質的な意味”や”変化の兆候など”には触れることが可能なはずです。残念ながら多くの開示事例は、“点”の説明でとどまり、“線”や“面”としての因果構造にまで十分に触れられていないようです。その背景には、「何か語らなければならないから書いている」という、開示義務への受動的な対応もあるかもしれません。

非財務情報開示の難しさと行き過ぎた“正解”主義への違和感
もちろん、非財務情報開示の難しさはあります。人的資本は時間差で効果が出る領域であり、定性的な変化も多く、数値化や因果証明が難しいのは事実です。また、「人」に関わる情報はプライバシーや多様性への配慮が求められ、開示にも慎重さが必要です。

企業として、慎重な姿勢を取ることは理解できます。仮に「こうすれば成果が出る」と断言し、それが外れた場合の責任リスクは小さくありません。ですが、それが「考えない理由」「行動しない理由」になるべきではありません。

ここでひとつ皮肉を込めて言えば、経済産業省等が求める「一貫性と説明責任に耐えうる情報開示」、すなわち「誰もが納得する整った説明」を目指すあまり、本質まで十分に語られなくなってはいないでしょうか。ストーリーやシナリオの内容や表現にまで、“正確性”を求めすぎてはいないでしょうか。

あまりに構造的に整った報告は、逆に現場のリアリティを覆い隠してしまうリスクがあります。人的資本経営が目指すべきは、「書ける情報」ではなく、「意味ある情報」であるはずですが、そこには、情報の「正確性」を求めすぎた結果として、“正解主義”に陥っている側面があるのかもしれません。

本当に大切なのは、何を問い、どう考え、どこまで語れるか――その「思考のプロセス」そのものではないでしょうか。

数字は否定しません。ただ、“数字にする前の意味”や“変化の文脈”も語られる必要があると感じています。

一人ひとりを見なければ、何も始まらない
人的資本とは、本来、一人ひとりの中にある知見や経験、スキル等の集積です。現実の開示では“企業全体の合計値”として扱われるので、本当の意味での実態が見えづらくなっています。どういうことか、というと、開示情報上の数字と現場の声との間にある“つなぎ目”が抜けており、制度や一部のプロセス指標が先行していて、プロセス指標と成果指標との関係が見えずらいのです。本来、企業が人的資本を語るのであれば、それは「人が変わった」「行動が変わった」「成果が変わった」という連続性、つまり物語/ストーリーとして語られるべきではないでしょうか。

資本と資産の関係に目を向ける
人的資本とは、“未来の価値を生む種”のようなものです。
企業が、一人ひとりが成長できる「土」を耕し、知見やスキル、経験、健康といった“見えにくい種”を丁寧に育ててこそ、やがてそれは“人的資産(=Human Asset)”として実り、企業の力へと変わっていきます。

人的アセットとは、こうした“資本およびそれに投資されたモノ・コト”が、個人レベルでどう育ち、どう活かされているかを見るためのフレームワークです。一人ひとりがどんな資本(スキル、経験、知識)を持ち、それが組織の中でどう束ねられ、どう成果に転換されているのか。このプロセスを可視化し、評価することで、人的資本は初めて“企業の未来をつくるリアルな資産”として機能し始めます。

もし今、「人的資本が企業価値とどうつながるのか説明できない」としたら、それは一人ひとりの人的資産を見ようとしていないことが、最大のブラインドスポットになっている可能性があります。

“変化を語れる数字”になるために
どうすればこの”見えにくさ”を可視化できるのでしょうか?
一人ひとりの人的資産を見える化し、それが組織としてどう束ねられ、企業価値に転換されるのか――。
次回以降、そのあたりを考えていきたいと思いますので、引き続きご期待ください。

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