Vol.35_探偵はいつ犯人を決めるのか

名探偵は、現場に着いてすぐに『犯人はこの人物だ』と決めつけることはありません。
直接的・間接的な事実を丹念に集め、いくつかの仮説を検証しながら、少しずつ真相を明らかにし、事件の犯人を特定していくものです。

身近な例を使って、この姿勢が欠けている場面を再現してみましょう。
例えば、熱があるので、病院に行ったとします。担当の医師からこう言われました。

『どうしましたか? なるほど熱があるんですね。では解熱剤を出しておきますね。はい、これで終わります』

何かひっかかるものがありませんか?

解熱剤によって熱は一時的に下がるかもしれません。しかし、熱の原因が肺炎だったとしたら、これでは根本的な解決にはなっていません。医師の本当の仕事は、熱という「症状」の奥にある「原因」を突き止め、どこを治療するかを見極めることのはずです。

同じようなことが、企業の中でも起きているのではないでしょうか。

「人材育成が課題です」
「若手の主体性が課題です」
「部門間のコミュニケーションが課題です」

企業の会議に参加していると、こうした言葉をよく耳にします。

最近であれば、「人手不足が課題」「生成AIの活用が課題」「エンゲージメント向上が課題」といった言葉もよく聞くようになりました。
どれも、それらしい言葉です。

そして、「それは確かに課題ですね」と言われると、何となく問題が整理されたような気になります。
しかし、少し立ち止まって考えてみる余地がありそうです。その「課題」は、解熱剤ではなく、原因そのものを治療する処方になっているでしょうか。

今回はこのテーマを取り上げます。

「若手の主体性が課題」の先に何があるのか

例えば、ある会社の部長会で、A部長がこんなことを言い出しました。

「最近の若手は指示待ちが多い。若手の主体性向上が課題だ」

それを受けて、会社(人事部門)は、若手社員向けの研修を企画することにしました。

自律型人材、主体性、キャリアオーナーシップ。こうしたテーマについて外部講師を招き、20歳代後半~30歳代前半を対象に何回か研修を実施しました。

その後、参加者にアンケートを実施しました。反応は悪くありませんでした。

ところが半年後の部長会のことです。同じA部長から・・・

「やっぱり若手が自分から動かない」

研修を受講させたのに、若手の行動がなぜ変わらないのでしょうか。

研修の内容が悪かったのでしょうか。
参加者自身の意識が低かったのでしょうか。

ここで一度、原点に戻ってみます。そもそも「若手の主体性向上」は、本当に課題だったのか。

実際に現場を詳しく調べてみると、「若手の主体性向上」が必要な状況とは、違う景色が見えてくることがよくあります。

上司が細かく指示を出しています。
若手が提案しても「前例がない」と却下されていた。

失敗すると評価が下がる一方で、自分から動いても特に評価されない。
この状況を踏まえると、「若手が主体的に動かない」という現象の原因は、若手自身にはないように見えませんか。
主体的に動かないほうが合理的だと判断している可能性があります。

この場合、若手研修を何回実施しても、大きな変化は期待できません。組織の問題の本質を捉え間違えたまま、表層的な対応策を一生懸命実行しているからです。冒頭の医師の例でいえば、肺炎を治さずに解熱剤を出し続けているようなものです。

問題と課題は、同じものではない

経営コンサルタントの大前研一氏は、問題解決において重要なのは、まず「何が問題なのか」を明らかにすることであり、問題が分かれば答えの半分は分かったも同然だという趣旨の指摘をしています。
また、元BCG日本代表の内田和成氏も『論点思考』の中で、「解くべき問題」を正しく設定することの重要性を説いています。

どれだけ優れた解決策を考えても、解こうとしている問題そのものが間違っていれば意味がありません。

これは当たり前のように聞こえます。

しかし、企業の現場では意外なほど頻繁に起きています。

なぜなら、私たちは「問題」を見つけると、すぐに「どうすればよいか」を考えたくなるからです。

売上が落ちた→「営業力を強化しよう」
離職者が増えた→「エンゲージメントを高めよう」
会議が長い→「会議時間を60分以内にしよう」
生成AIの活用が進まない→「全社員にAI研修をしよう」

いずれも、ありそうな話です。

ここで、「問題」と「課題」を簡単に整理してみます。

まず、問題は「解決したい何か」が明確になっていなければなりません。

問題とは、目標やあるべき姿と現状とのギャップです。例えば、「注文から3日以内に届ける」という目標に対して、実際には7日かかっている。

この「4日の差」が問題です。ここが明らかになっていないと、思いついた施策が簡単に目的化してしまいます。

では、なぜ4日遅れているのでしょうか。

在庫が不足しているのかもしれません。注文システムと在庫情報が連携していないのかもしれません。在庫確認の頻度が低いのかもしれません。配送業者に原因がある可能性もあります。

これが原因分析です。

トヨタ生産方式には、「なぜを5回繰り返す」という有名な考え方があります。一つの現象に対して「なぜ」を重ねることで、表面的な原因ではなく、本質的な原因にたどり着こうとする手法です。原因分析とは、本来この地道な作業の積み重ねなのかもしれません。

そして、すべての原因を同時に解消することはできません。

実行可能性、費用対効果、緊急度、影響度などから、「今回はここを解決対象にする」と決めます。

それが課題なのです。

ここまでの情報をまとめてみます。

問題は「何がうまくいっていないのか」
課題は「その問題を解決するために、何を変えるのか」

言い換えるなら、問題は「発見するもの」「解決するもの」、課題は「選ぶもの」「ある状況を実現するもの」です。

ここを混同すると、組織の思考にいくつかの副作用が生まれます。

「課題」を意識した瞬間、原因分析が消える

その副作用の一つ目は、原因分析のプロセスを飛ばしてしまうことです。

「売上低下が問題だ」

ここから始めれば、なぜ売上が落ちているのか。顧客数の低下なのか、単価の低下なのか。新規・既存双方の顧客の低下なのか、既存顧客だけなのか、商品力なのか、営業力なのか。
さまざまな可能性を検討する必要があります。

ところが、

「営業力強化が課題だ」と言った瞬間、原因は営業力であることがほぼ確定してしまいます。
営業研修をする。営業人員を増やす。営業KPIを強化する。

組織はその方向へ動き始めます。

しかし、本当の原因が商品競争力の低下だったとしたらどうでしょうか。
営業担当者は、売れにくい商品を以前より一生懸命売ることになります。

努力の量は増えますが、成果に結びつくかどうかはわかりません。

問題と課題を混同する怖さは、何もしなくなることなのでしょうか。

間違った方向に、組織が一生懸命動き始めてしまうことなのです。

「課題」が増えるほど、何も解決できなくなる

二つ目の副作用は、やるべきことが同じ優先度になってしまうことです。

経営会議などで「当社の課題」を洗い出すと、驚くほど多くの項目が並ぶことがあります。

人材育成、DX、採用力、組織風土、営業力、生産性、コミュニケーション、エンゲージメント、管理職育成。
どれも重要です。ところがこの状況が困ったことにつながってしまうのです。

なぜだと思いますか。

すべて「課題」とするのであれば、すべてに取り組まなければならなくなるからです。

しかし、本来の課題設定とは、原因を洗い出したうえで、「どこを解決対象にするか」を決めることです。
つまり、“選ばない”課題という意思決定も含まれているのです。

課題を列挙することと、課題を設定すること、これらは似て非なる行為です。
課題が10個並んでいる状態は、課題が整理されている状態ではありません。

文字通り、課題を10個、とりあえず挙げてみた状況といえるでしょう。

マネジメントでも同じことが起きている

これは経営課題だけの話ではありません。日常のマネジメントでも同じです。

例えば、上司が部下にこう伝えたとします。

「あなたの課題はコミュニケーション力です」

本人はどうすればよいでしょうか。アクションがイメージできません。
もっと話せばいいのか。説明を簡潔にすればいいのか。相手の話を聞けばいいのか。報告を早くすればいいのか。

そもそも、自分の何が問題なのか、ということかもしれません。

「コミュニケーション力」という言葉は使い勝手が良い言葉です。でも適切に使わないと、具体的な問題が隠れたままであり、単なるバズワードになりかねません。
例えば実際の問題が、「重要な案件について上司への報告が遅れ、意思決定が2日遅れたこと」だったらどうでしょうか。

なぜ報告が遅れたのか。本人が重要だと認識していなかったのか。報告のルールが曖昧だったのか。上司が忙しく、相談しにくかったのか。
原因によって、設定すべき課題も変わります。

本人の報告判断を改善することかもしれません。上司との情報共有ルールを変えることかもしれません。

ここまで整理されて初めて、本人が何を変えればよいのかが見えてきます。
「コミュニケーション力を高めよう」と言われるより、はるかに行動につながります。

問題と課題、本当に大した違いはないのだろうか?

「問題でも課題でも、意味が伝わればどちらでもよいのではないか」

そう思われる方もいるかもしれません。

確かに、日常会話レベルであれば、厳密に使い分ける必要はないでしょう。
重要なのは、用語そのものではありません。その言葉の後ろにある「思考の順序」です。

何を目指しているのか。
現状はどうなっているのか。
その差は何か。
なぜ、その差が生まれているのか。
その原因の中で、どこを解決対象にするのか。
そして、何を実行するのか。

この順序を踏んでいるのであれば、「問題」「課題」という言葉を多少違う意味で使っていても、大きな問題は起こらないかもしれません。
怖いのは、「課題」という一言によって、思考を停止してしまうことです。

「それは何の問題を解決するのか」と聞いてみる

では、どうすればよいのでしょうか。

特別なフレームワークが必要なわけではありません。
例えば、会議で「○○が課題です」という言葉が出たときを想像してみてください。ここに一つの問いを加えてみましょう。

「ちなみに、それは何の問題を解決するための課題ですか」

例えば、

「管理職育成が課題です」→管理職の現状にどんな問題が起きているのか。
「AI活用が課題です」→AIを使うことで、現在の何を変えたいのか。
「エンゲージメント向上が課題です」→エンゲージメントが低いことで、具体的に何が起きているのか。

ここまで問い直すと、「課題だと思っていたもの」が、実は解決策だったことに気づくことがあります。あるいは、単なる掛け声だったことに気づくこともあります。

行動を変えるスイッチは、「正しい答え」より「正しい問い」

世の中には、解決策があふれています。

研修をする。制度を変える。システムを導入する。KPIを設定する。会議を増やす。コンサルタントに相談する。生成AIを導入する。

手段を見つけること自体は、情報アクセスが容易になったことにより、以前より簡単になっています。

特に生成AIの普及によって、「どうすればよいか」という問いに対する答えは、これからさらに簡単に手に入るようになるでしょう。すでに本格化しつつある生成AI時代において、価値を持つのは「答えを出す力」よりも、「何を問うか」――つまり、何を解くべきなのかを正しく見つける力なのかもしれません。

名探偵は、最初から「犯人は誰か」という答えを決めてかかることはありません。まず現場を丹念に観察し、事実を集め、いくつかの仮説を立てながら、少しずつ的を絞り込んでいきます。結論を急がず、事実から出発する。この姿勢こそが、名探偵を名探偵たらしめているのではないでしょうか。

課題設定も、実はこれと近い営みだと思います。
「〇〇が課題だ」と最初に結論を決めつけてしまうのではなく、まず事実を集め、原因を洗い出し、そのうえでどこを解決対象にするかを見極める。
遠回りに見えて、実はこれが一番の近道なのではないでしょうか。

問題を正しく捉え、その原因を考え、解決すべき対象を選び、課題として設定する。
そこまでできて初めて、解決策が実効性ある行動につながります。

自分の会社や組織で展開されている様々な取組。下記の視点で改めて問いかけてみると、色々見えなかったものが見えてくるかもしれません。

「それは、一体、何の問題を解決するために必要なんですか?」