Vol.16_“あなたの成長”はどこへ向かうか?

現在の日本において、“研修”というビジネスの市場規模がどのくらいあるか、ご存じでしょうか。

2023年度、企業向け研修サービス市場は5,600億円。これは家電量販店業界や音楽配信市場に匹敵する規模であり、決して地味な領域ではありません。

テクノロジーの進化もこの市場を押し上げています。eラーニングやオンライン研修だけで1,140億円を超え、たとえば国内のペットフード市場とほぼ同等です。

企業側の目線で換算してみると、従業員1人あたりにかけている教育研修費用は年間平均8,750円(2023年時点)。ざっくり言えば、企業は社員一人に毎年約1万円の“成長への投資”をしていることになります。一見すると妥当な額にも見えますが、「少ない」と感じる部分もあるのではないでしょうか。

  • 1日分の研修費用(講師・会場・準備含む)を含めると、1万円を軽く超えるケースが多い
  • 年間1万円ということは、月にするとわずか約830円、週にして約190円の投資にすぎない
  • 企業の“最重要資産は人材”と言いながら、その育成にこの水準しかかけていないという矛盾

もちろん、全てを費用の多寡で判断すべきではありませんが、果たしてこの水準で「意味のある成長」を設計できているのでしょうか?

研修を受けることが目的化している現実
「会社(人材開発部)から義務付けされているから」
「昇格条件になっているから」
「eラーニング未受講者として目立ちたくないから」

そんな理由で、何十時間もの講義が再生され、未読チェックボックスだけが淡々と埋められていく

研修は、本来“目的が明確な人”にとっては最強の手段ともいえるでしょう。
ただし、目的が曖昧なまま受講すれば、“時間を費やした気休め”にしかならないのです。

「何もしないよりマシ」
「受講することで、何か得られるだろう」
「話を聞いておけば、自分にプラスになるはずだ」

そんな“ぼんやりとした期待”では、本当に意味ある成長は得られないのでは?

“成長”という言葉に振り回されていないか?
「この会社で、どれくらい成長できますか?」
「自分のスキルを活かして、成長したいです」

そんな言葉を、よく耳にするようになりました。
特に若手社員や転職希望者からは、「この会社でどう成長できるか」を企業選びの基準にする声もよく聞かれます。成長が一種の“聖域”になっている印象もあります。

でも、ここには、2つの“構造的な落とし穴”があるように感じます。

①“依存する構造”にハマってしまっている

  • 「成長させてくれる場所」=仕事環境や会社ブランドに依存
  • 「成長させてくれる人」=上司や先輩などヒトに依存
  • 「成長できる仕事」=仕事内容そのものに依存

どれも大事ですが、いずれも“受け身”の構造に陥りがちです。「この会社でどう成長できますか?」という問いがしっくりこない場合、そもそも“自分の軸がないまま、成長を他者に委ねている”からかもしれません


②“発想する構造”にハマってしまっている

「成長=スキルや知識を増やすこと」と捉えると、To do(行動)型の発想になります。でも、「成長=自分のあり方が変わること」と考えると、それはTo be(状態)型の発想に変わります。

つまり成長の定義次第で変わるわけです。例えば「変化し続けられる存在になりたい」と視座を高めて捉えることができれば、“誰に育てられたか”“どこで何をしたか”、よりも、“自分がどうあるべきか”の発想になります。


①②のフィルターで現状を照らしてみますと、「この会社でどう成長できるのだろうか?」という問いに違和感が残りませんか?

なぜでしょう?そして、何がその気持ち悪さを引き起こしているのでしょうか?


それは、“自分で動き出す前提”ではなく、“誰かに動かしてもらう前提”だからです。

「私はこうありたい。そのためにこの会社のこの環境・人・仕事が合っている」──
そう逆算できる人は強いのです。

組織目標の一つに挙げられることが多い「人材育成/成長」という項目。
具体的な目標を検討するうえで、「教える」という視点で考えていませんか?今や「共に考える」「自ら学ぶ」といったキーワードがあふれるようになりましたが、どこかで限界がくる「教えること」「育てること」から発想を転換する時代が来ているようです。


成長は“目的”ではなく“手段”のはず
たとえば、山登りを考えてみてください。
登山の目的は「山に登ること」でしょうか?

「どこの山でもいいからとにかく登らせてください」と言う人は基本的にはいないはずです。

一度くらい「富士山に登ってみたい」と思うことはあるでしょう。でもそれは、「登り切ったあとの景色が見たい」「自分を試したい」「誰かと感動を分かち合いたい」ということが大半だと思います。


そうです。本当に大切なのは、登った先で何を見たいのか。
その“目的”があってはじめて、「成長」という手段に意味が宿るのではないでしょうか。
「成長したいです」とだけ語って終わるのは、正直中身がないと言っているようなものです。

成長の“中身”が見えていない問題
冒頭で多くの企業や教育機関では、「成長支援」と称してスキル教育やE-learningの導入を推進していると触れました。

最近のトレンドでいえば、「AI人材育成」とか「DX研修」。しかし、その多くは受講を義務化するものであり、ある種「To do型」の押しつけになっているとも言えます。「多少の知識はつくのかもしれないが、なぜその知識が必要なのか分からないまま学んでも、あまり意味がないのでは?」と感じる社員の声もゼロではありません。

これは、「学ぶ=成長」という考えが暴走した典型です。
学びは、「なりたい自分に近づく」ために存在するもののはず。
順序が逆転すれば、「学び」も「成長」もただの作業になります。


成長とは何か?──“設計図”として捉えなおしてみよう
成長とは、自分自身で設計するものです。
そのためには、目の前のスキルや役職に目を奪われる前に、まず「どこに向かって成長したいのか=角度」を定める必要があります。 多くの人が「できることが増える」「スキルが上がる」と捉えがちですが、それはあくまで一側面。

ここまでの議論を踏まえて、改めて「成長とは何か」を構造的に整理してみましょう。

成長した状態とは、“自分の状態が現在から変わること”です。その変化には広がり・高さ・厚みという三次元の要素で捉えることができます。(イメージ参照)

これら3方向の交点が“成長の軌道”を形づくります。つまり、成長とは、“平面的”な拡張ではなく、“立体的”な進化といえるものです。

そして最も重要なのは、この成長の軌道が「どこに向かうのか(=角度)」。つまり最終的なゴール(=目的)です。それが不明瞭なままでは、いくら広げても進んでも登っても、“どこにも到着しない≒終わりのない努力”になってしまいます。

では、どのようにその角度=目的(To be)を定め、そこに向かう道筋を立てていけばいいのでしょうか?

To beから逆算する「成長設計」とは
ここからは、職種別のTo be(=角度)を起点に、目的を見失った例と望ましい成長設計例を対比で整理してみたいと思います。


成長の設計は、“目的と価値基準を整理すること”から始まる
この3つのケースを比較してみると、何が大事なのか何となくでも分かるのではないかと思います。
「ここまで見える化しておかないと意味がない」

あと、“意味のある成長設計”にはもう一つ大事なポイントがあることがわかります。

それは「何のためにやるのか(=目的)」と「どう在りたいか(=価値基準)」を分けて整理することです。
実はこの2つは似て非なるものなのです。
“目的と価値基準のズレ”には、いくつかのパターンがあります。

たとえば――

「新しい挑戦をどんどんしたい(目的)」 × 「失敗して、人から否定や非難されるのは避けたい(価値基準)」
   → 自分の中で前進と防御がぶつかる「内的ジレンマ」


「3年後にチームを率いるリーダーになりたい(目的)」 × 「誰かを置き去りにせず、全員で成果を出したい(価値基準)」
   → 周囲との関係性の中で揺れる「外的ジレンマ」

いずれも、「ズレていること自体が悪」なのではありません。
大事なのは、「そのズレを認識したうえで、自分の言葉で説明できるかどうか」です。

自分なりの解釈があれば、そのズレは“ブレ”ではなく“芯”になります。

逆に、目的と価値基準をごちゃごちゃにしてしまうと(都合よく解釈してしまうと)、前にも横にも動けなくなることがあります。これは“未自覚のズレ”。

むしろ“意識されたズレ”こそが、自分の角度(方向性)を形づくる張力にもなると言えます。

こうした“目的と価値基準の整理”を頭で考えることも大変ですが、それを実際の行動や変化に表すこと、これはこれで別の難しさがあります。

いくら「この方向に進みたい」と言葉で語れても、実際に動き出すには、“動くための感覚”が伴っていないと足がすくんでしまう。

ここで、つい抜け落ちがちなポイントに触れておきたいと思います。

”「成長する」とは、知識を得ることや計画を立てることだけではない。その方向に向かって一歩踏み出す“体感”を得ることでもあるということ”

跳び箱も、竹馬も──“感覚”としての成長
かつて、小学校でチャレンジした跳び箱。

自分の時を思いかえすと、何度も失敗して、踏切板の使い方や体の支え方を「体で覚える」ものでした。
「両手で押し出すように支えろ!」「前に体重をかけろ!」──そういうアドバイスを受けても、結局“感覚”がつかめないとできるようにならなかったことを覚えています。

似たような話ですが、みなさんは竹馬をやったことありますか?二本の棒に足場がついた道具で、体を前に傾けながら歩く遊びです

あれ、実はなかなか習得が難しいんです(笑)。竹ぽっくりや缶ぽっくりの感覚とは全く違うので、竹ぽっくりができたからといって、竹馬ができるわけではない。


最近、あいち健康の森公園で、竹馬の乗り方を子どもに教えていたのですが、子どもはチャレンジしてみるもののなかなかうまくできない。一瞬は立つことはできますが、そこから先は踏ん張れず、倒れるのが怖くなってしまい、竹馬から降りてしまう。何べんトライしても、竹馬で前に進めない。

「地面を見るな、前を見ろ」と言ってみたものの、状況は改善されず。

そんなやり取りを数回していた時、不意に「跳び箱のコツ」を思い出しました。そのコツ、一言でいえば、両腕で体重を支える感覚を覚えることなのですが、これを応用してみることにしました。

具体的には、立ったまま、両手を伸ばして、“スキージャンプ”のような前傾姿勢で、こちらの掌に向かって体重をかけてきてみろ、と言ってみたのです。最初は「こわ~い!」と言っていましたが、”前に倒れかける感覚”を10回くらい確かめたあと、竹馬に再度トライさせてみると、、、なんと嘘みたいな話ですが、ちゃんと前に進むことができるようになりました。途中バランス悪く転びそうになっても、竹馬の二本の棒をうまくコントロールして、どうにか踏ん張ることができるようになりました。不思議なものですよね。ちなみに”竹馬が出来ない私”が子どもに教えていたのですが(笑)、このやり方を自分もやり続けてみると、最後は私もちゃんと竹馬をマスターできて、親の威厳・面目を保つことも出来ました。

話を戻します。子どもが“やっていたこと”を、今回ご紹介した成長の設計図に当てはめて整理してみましょう。

  • 角度(To be):竹馬で前に進めるようになりたい
  • 着地点(今取り組むべき交差点):前に体重をかけられるようになる
  • 手段:片方の棒を支えてあげる(横)、つま先立ちの練習(深さ)、怖さを共有し安心を与える(奥行き)

このように整理してみると、設計図というのは“自分を動かすための納得ある補助ツール”であることが分かります。前に倒れる覚悟も、進む勇気も、「どこに向かっているか」がわかるからこそ持てるのではないかと感じます。

これは仕事でも同じことが言えるのではないでしょうか。

  • 正しいやり方を教えても、人は動けるとは限らない
  • 感覚がつかめていないとき、人はたいがい動けない/守りに入る

今の若い人材は、出来ないと、「見本を見せてくれ」「何を意識すれば跳べるのか知りたい」とよく言います。それについ答えたくなりますが、コツをつかむノウハウを教える前に、「コツをつかむ前の助走支援」が必要なのだと改めて思います。

つまり、「こうしたら、できるようになる」ではなく、「(これがうまくできるようになったとして)どんな風になるか/その先こんな感じになる」「そうなることを見据えて、どういう形で支えてほしいか」

──それを、共に考えられることが”教える側”に求められています。

成長とは、「自分を変える力」でもあり、それ以上に「自分が“どう在りたいか”を信じて、選び続ける力」。
――あなたは、どこに向かって“倒れて”いこうとしているでしょうか?



あなたの未来の成長の設計図をチェックしよう
あなたの“成長したい”という気持ちは、どこに向かっていますか?
1年後のあなたが、“何が変わった自分”でいたいか。今、あなたはその設計図を描けていますか?

「いま、何を広げ」「どこを登り」「どこに届くように」伸ばすのが、あなたにとって最も意味ある成長なのでしょうか?

あなたの考えや計画を堂々と言えるとき、仕事だけでなく、日々の出会いを含めるすべての物事が意味あるものとなり、あなたの「設計図の一部」に組み込まれている状態にあると言えるでしょう。