Notes Vol.37_AIで人事評価は変わるのか(後編)
Vol.34では、AIが人事評価そのものを行っているわけではなく、「観察の範囲を広げる技術」として機能していると述べました。
業務ログ、顧客データ、コミュニケーション履歴。これまで上司一人の記憶に依存していた観察が、AIによってより広く、より漏れなく行えるようになる。それは確かに意義のある変化です。
では、観察の範囲が広がれば、評価は良くなるのでしょうか。
今回は、その問いをもう少し深く掘り下げてみます。
見えるようになったことと、評価すべきことは同じか
AIが観察できるのは、データとして記録されたものに限られます。
通話件数、案件の進捗、コードのコミット履歴、会議への出席記録。こうした情報は確かに「見える」ようになりました。
しかし、こんな問いを立ててみると、どうでしょうか。
「記録されたものだけが、組織への貢献のすべてか」
困っている同僚に声をかける。チームの空気が重くなっているときに場を和らげる。新しいメンバーが組織に馴染めるよう、自分の仕事の合間に時間を割いて支える。
こうした行動は、データにはほとんど残りません。
しかし、こうした行動が組織の土台を支えているということは、現場のマネジャーであれば肌感覚として知っているはずです。
観察の範囲が広がることと、評価すべきものが見えるようになることは、必ずしも同じではありません。
測れるものが増えると、測れないものが消える
これはどういうことでしょうか。
データで可視化された行動が「評価される仕事」として定着するようになります。そうするとデータに残らない行動はどうなるでしょうか。「評価されない仕事」として扱われるようになっていくことが想像できると思います。
人は合理的な生き物です。評価されないことに、意識やエネルギーを向け続けることは難しい。
結果として、「記録に残る仕事」は増え、「記録に残らない貢献」は静かに失われていきます。
これはAIが悪意を持って引き起こす問題ではありません。データを重視するほど、測れないものの価値が相対的に薄れていく、という構造的な問題です。
AIは何を学習しているのか
ここで、もう一つ考えておきたいことがあります。
AIは過去のデータを学習して、パターンを見出す仕組みです。人事評価にAIを活用するとき、多くの場合、学習させるのは「過去の評価データ」です。評価点数、評語、考課結果。こうした情報をもとに、「どんな特徴を持つ人が高く評価されてきたか」を学んでいきます。
しかし、ここで立ち止まって考えてみてください。
過去の評価データに含まれていないものは、AIも学ぶことができません。
つまり、今の評価制度が捉えられていない貢献は、AIを使っても捉えられないまま、というわけです。
AIは評価の精度を上げてくれますが、評価の「前提」は変えてくれません。何を評価すべきかという問いは、AIではなく人間が考えるしかない問いです。
教育の変化が示唆していること
少し視野を広げて、教育の世界で起きていることを見てみましょう。
かつての学校教育では、評価はほぼペーパーテストの点数で決まっていました。客観的で、一貫性があり、比較しやすい。当時はそれが「公平」な測定方法でした。
しかしその後、義務教育における評価は大きく変わってきています。
授業態度、クラスへの貢献、振り返りや内省を通じた成長の努力。これらが評価に組み込まれるようになったのは、「学力とは何か」という前提が変わったからです。
評価方法が変わったのではなく、「何を育てたいか、何を評価すべきか」という定義そのものが変わったのです。
この変化は、人事評価にも重なる問いを投げかけています。
「組織への貢献とは何か」を、私たちはまだ十分に定義できているでしょうか。
プロ野球でも起きている「評価の再定義」
同じ変化は、プロ野球の世界でも起きています。
かつての選手評価は、打率・本塁打・打点・勝利数・セーブ数といった数字が中心でした。わかりやすく、比較しやすい。しかしこれらの指標は、守備の貢献、走塁の巧さ、ポジションの難易度、相手投手の質といった要素を反映できていませんでした。
そこで広がったのが、WAR(Wins Above Replacement、勝利貢献度)をはじめとするセイバーメトリクスの指標群です。WARは打撃・守備・走塁・投球をひとつの数字に統合し、「その選手がいることで、チームの勝利数がどれだけ増えたか」を表します。従来の指標では正当に評価されなかった選手の貢献が、初めて可視化されるようになりました。
横浜DeNAベイスターズはこの流れの先頭を走るチームの一つです。独自のAI評価モデルを用いて投球データを多角的に分析し、他球団が戦力外とした選手の中から、従来の指標では見えなかった才能を見出すことに成功しています。こうしたデータ活用が実を結び、チームの投手貢献度はわずか一年でリーグ最下位圏から上位へと跳ね上がりました。
しかし、ここで注目すべきことがあります。
WARは非常に精緻な指標ですが、それでもまだ測れていないものがあります。たとえば、若手選手の成長を陰で支えるベテランの関わり方、チームの雰囲気を整えるロッカールームでの振る舞い、苦しい試合展開の中で周囲を鼓舞する言葉。こうした貢献は、どれだけデータが進化してもなかなか数字には表れません。
野球界が「勝利数やセーブ数」から「WAR」へと評価の定義を広げたように、人事評価もまた「何を貢献とみなすか」の定義を問い直す段階に来ているのかもしれません。そしてその問い直しは、AIを導入する前に、人間がやっておくべき仕事です。
教育もプロ野球も、そして人事評価も、根底では同じ変化が起きているのです。
インプットとアウトプットの関係が変わった
かつての評価は、インプットとアウトプットが同じ種類のものでなければならない、という発想に基づいていました。
テストの点数を入れれば、テストの点数で評価する。打率を測れば、打率で評価する。結果を入力すれば、結果で評価する。評価の入り口と出口は、同じ土俵にある必要がある、という前提です。
しかしその発想では、「測りやすいもの」しか評価に入ってこられません。
今起きている変化は、この前提を崩すところから始まっています。「何を評価したいのか」というアウトプットの定義を先に決め、そのために何をインプットすべきかを逆算する、という発想への転換です。
- 教育であれば、「学力」の定義を問い直し、育てたい力から評価方法を設計する
- 野球であれば、「勝利への貢献」という目標から逆算し、従来の指標では見えなかった守備や走塁をインプットに加える
- 人事評価であれば、「組織への貢献とは何か」を定義し直し、そこから評価の項目と方法を設計する
これらはインプットとアウトプットの関係についての考え方が変わった、ということを示唆しています。
AIは材料を集め、人間が決断する
AIに何をインプットし、どんなアウトプットを求めるか。その設計図を描くのは、人間の仕事です。設計図なしにAIに丸投げすれば、AIは過去のパターンを再生産するだけになり、それは評価の改善にはつながりません。
AIを人事評価に活用することには、大きな可能性があります。これまで見えなかったものを見えるようにし、評価者の負担を減らし、より多くの情報をもとに判断できる環境をつくる。それは間違いなく意義のある変化です。
ただし、AIが示すのはあくまでも材料であり、選択肢であることに留意すべきです。
データが示す傾向を見て、何を重視し、どう判断するか。その責任は依然として人間の側にあります。
そして、もう一つ忘れてはならないことがあります。
AIが示さなかったものの存在です。
データに残らなかった貢献、数値化されなかった努力、記録されなかった関わり。AIは「見えるもの」を整理してくれますが、「見えないもの」については沈黙します。
その沈黙を、「存在しない」と読み違えないこと。それが、AIを使いこなす側の人間に求められる視点ではないでしょうか。
何を評価したいのかが、先にある
AIで人事評価を補助する取り組みは、今後さらに広がっていくでしょう。
しかし、どれだけ技術が進んでも、問い続けなければならないことがあります。
私たちの組織は、何を「貢献」と定義しているのか。その定義は、組織が本当に大切にしていることと合っているか。評価制度は、その定義を正しく反映できているか。
AIに何を学習させるかは、この問いへの答えによって決まります。
道具の性能を上げる前に、道具に何をさせたいかを考える。それが、AIを人事評価に活かすための、最初の一歩なのかもしれません。
そしてこの問いは、技術の話であるよりも、もっと根本的なことに行き着きます。
「公平な評価とは何か」「公正な評価とは何か」。この二つは、同じようで、実はまったく異なる問いです。
次回は、この問いについて考えてみたいと思います。

